二見情話の里。大切に唄い継がれる理由。

2021.11.13

皆さんの住む地域には、どんな地域を唄った唄がありますか?
例えば校歌だったり、村歌だったり、地域のことを唄う唄は多くあるかと思います。
名護市東海岸の「久志地域」でも、上記のような唄は多くあります。

その中でも、地元で愛され、多くの方々に唄い継がれている唄があります。
それは「二見情話(ふたみじょうわ)」です。

久志地域の二見区にある「二見情話の里」の石碑


二見情話は、二見区に歌碑があるのはもちろん、沖縄県内で唯一のメロディロード(※1)にもなっている民謡です。


さらに、二見区も含む久志地域の中心にあるわんさか大浦パークでは、毎年県内各地から20組ほどの出場者が集う「二見情話大会」というイベントも実施されています。

わんさか大浦パークで開催されている「二見情話大会」の様子


こんなに地元から愛され、地域のシンボルの唄でもある二見情話ですが、作詞作曲したのは地元の方ではないんです。
この唄が作られたエピソードこそが、この久志地域の良さを物語っているなぁと感じているので、ご紹介します。

一見すると恋の唄、実はそれだけではない二見情話。


二見情話の曲を聴いたことがある方は、男性と女性のパートがあることを知っているかと思います。
さらに歌詞を見ると、一見、男女の恋の唄だと思いませんか?


実はちょっと違うのです。

二見区にある二見情話の歌詞


この歌を作った方は照屋朝敏さん。
この方は第二次世界大戦中に、沖縄県南部の与那原から、北部の久志地域、二見区に避難してきました。避難先の二見では食べ物もなく、非常に苦しい中ではありましたが、地域の人々は避難者のために大切な畑を貸してくれ、そのおかげで野菜などを作って飢えをしのいだそうです。


二見情話がつくられたのは76年前の今頃(1945年11月頃)。
食料がなく、とても苦しい状況の中でも、地元の人の気持ちをいちばんに考えた照屋さんは、二見の村長も務めました。


戦後二見を離れることになった照屋さんが、二見を想い、感謝の気持ちで作ったのが「二見情話」なのです。

旧道からの二見区の景色。
地域の方々によって、色鮮やかなセンネンボクやクロトンが植えられています。


二見区にある歌碑には、唄の歌詞だけでなく、下記のような記述があります。

「敗残兵の一斉掃討をするから民間投降者は避難せよ」
沖縄戦が終結した昭和二十年六月二十日、米軍の命令により、私は他の投降者と共に摩文仁から与那原に出、海路、大浦崎を経て二見に移動した。村民は心よく迎え入れ、皆、安堵した。
相互扶助の生活が日々、顕著になった或日、村長事務所で年長者会議があり、席上、二見の歌の創作要請を受け二ヶ月後に完成したのが、「二見情話」
 これは、平和祈念と二見の人々への命からなる感謝をこめた御礼のメッセージでもある。
  平成二年七月吉日
                      元二見村長 照屋朝敏

二見情話の歌碑より

二見情話を唄う道「メロディーロード」


二見情話を身近なものに。
歌碑のある二見区への道中に、二見情話を唄う道があるのをご存じでしょうか。

その名もメロディーロード「二見情話ミュージックライン」です。

二見区にあるメロディーロードの道路標識


沖縄県内で唯一のこのメロディーロードは、2012(平成24)年11月23日(「いいふたみ」の日)に完成しました。二見区の要望を受け、設置されました。
国道331号線の旧道を約340mの区間で約30秒間、三線と歌の重奏で「二見情話」が流れます。


これは、メロディーロードの技術を開発し、特許を持つ北海道標津町の篠田興業さんにより作られました。
現在国内外に23か所あるメロディーロードのうち、8番目に作られたのが、この「二見情話ミュージックライン」です。
作られた当時、「三線と歌声の重奏」は全国初とのことでした。

株式会社篠田興業HPより


道路に刻まれた規則的な溝の上をタイヤが通ると、発生する音が、メロディーとして聞こえる仕組みになっています。
車の窓を閉めて、速度約40km(この道路の法定速度)で車を走らせることで、本来のテンポで二見情話のメロディーが流れます。
このメロディーロードにより、走行速度を抑制し、安全運転を促せる効果があるとのことです。

二見情話ミュージックライン。大浦湾を望む景色が広がります。

 

昔はこの先で交通事故が多かったけど、このメロディーロードが出来てから事故が減って良かったよ。

二見区の地域の方より


国道331号線の旧道であるこの道は、知る人ぞ知る、ツーリングロード。
しかしながら二見区の地域を見渡すと、ゆっくりゆっくり(方言では「よんなーよんなー」)走るおじいおばあの車が多く見られます。

地域の方々の誇りである「二見情話」が、地域の安全な暮らしを支え続けています。

二見区の集落にある小道を抜けると、すぐに大浦湾が。


二見情話を大切にしている、地域のこと。

2012年にメロディーロード「二見情話ミュージックライン」が開通したことを記念して、 全国的に親しまれ愛唱されている民謡「二見情話」を発祥の地で歌う「二見情話大会」(※2)を実施しています。
地域が一丸となった取り組みをさらに広く知ってもらい、地域の活性化につなげることを目的としています。

2019年に開催された二見情話大会のチラシ。
2020年・2021年は中止となっています。


このイベントを通して多くの人が集まり、交流が生まれ、地域が発展していくよう地元産品を使った食のブースや
地域芸能の出し物など創意あふれる楽しいイベントを開催しています。

出場者数約20組のペアが、二見情話の1・2・5番を唄います。
審査では歌唱、衣装、ペア度、三線演奏の視点から審査されます。

発祥の地ならではの、涙あり、笑いありのアットホームな催しとなっています。

このイベントを通じて標津町や企業さんとのつながりを持っており、審査員を務めて頂いたり、今後はわんさか大浦パークでは北海道フェアーも開催予定です。



こういった「ご縁」や「人とのつながり」を大切にしている二見情話の里ならではの取組となっています。

地域には、二見情話にご縁がある方も暮らしています。
10年前に沖縄県南部から二見区の隣の大浦区に移り住んだ、宮里千佳さん(わんさか大浦パーク職員)。

二見情話を作詞作曲した照屋朝敏さんは、私の曾祖母の兄弟なんだ。
大浦に嫁いできた時に親戚の方から聞いたの。
おばさん達も二見に疎開してたから、
疎開していた家族はみんな二見に感謝の気持ちがあったよ。

だから大浦に来た時に
「え!あの二見の隣の大浦!?あんたは縁があったんだね~」と親戚の人に言われたのをよく覚えてる。

自分自身も、大浦に住んで10年目。
なんと偶然にも、夫は二見情話を唄った玉城安定さんの親戚。
本当に縁があったなあ、と感じてます。

宮里千佳さんより
大浦区でウエディングフォト撮影をした、宮里千佳さん


「忘しりがたなさや、花ぬ二見よ」

これは二見情話の最後の歌詞です。
どんなに素敵な地域か、是非皆さんにも知ってもらえたら嬉しいです。


=====================

※1 メロディロードとは、車で道路を通ると音楽が流れる道のことです。法定速度で走ることで本来のテンポでメロディーが流れるので、車両運転側のスピードの抑制になる効果があります。
▼メロディーロード公式サイト
http://melodyroad.jp/

※2 2012年から8回続いた二見情話大会は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2020年・2021年は中止となっています。