母から娘へ、受け継がれる伝統の味

2020.09.21

今回は、名護東海岸で昔から作り続けられている“なんとぅ”のお話を。

“なんとぅ”とは、もち粉で作られる沖縄の郷土菓子。

“なんとぅ”=「年頭」と書かれ、お正月に食べるもち菓子です。


名護東海岸では、お正月に限らず、お盆や清明祭・慶事など家族が集まる行事でよく食べられ、行事があると手作りで“なんとぅ”を用意する家庭が今もあります。


那覇方面では、もち粉と黒糖、味噌、ピパーチ(八重山胡椒)をあわせて作られるのが一般的なようですが、

ここでは、もち粉と黒糖だけのシンプルなものや、生姜をあわせるものなど、家庭により少しずつ引き継がれている味が違います。


そんな“なんとぅ”を繋いでいくため、お母さまの味を守りながら、なんとぅ屋を営まれている方々がいらっしゃいます。


汀間区にある「春おばーのなんとぅ店」の田中喜子さんと三原区にある「きくおばーの味三原なんとぅ」の久志初美さんです。


それぞれにお話を伺ってきました。

汀間川沿いを走っていると左側にお店が見えてきます。


このなんとぅを守るために私はここに残ってお店を営んでいる。これがなかったら、この地域に残っていなかったかもしれないね〜

と話してくれるのは、「春おばーのなんとぅ店」の田中さん。

なんとぅへの熱い思いが伝わってきます。

春おばーのなんとぅ店では、昔ながらの黒糖なんとぅに加え、ドラゴンフルーツやかぼちゃ、よもぎなどをあわせた見た目も鮮やかでカラフルななんとぅが目をひきます。

上から、ドランゴンフルーツ・かぼちゃ・黒糖・よもぎ・紅芋、5種類入った人気商品です。

“本土の人や海外のお客様の目にもとまるように”と、直接農家さんから仕入れているこだわりの沖縄の食材でアレンジを。

食からも“沖縄”を感じて楽しんでもらいたい!という心遣いから。

実際に県外からの発注や海外のお客さまが足を運ばれることも多いようです。

昔はこのあたりも田んぼが多く、お米もたくさん作っていたそうで、なんとぅ作りも原料作りから。

昔は、なんとぅを作るのも今以上にすごく手間がかかっていて、

米を浸水して、石臼でひいて、それを木綿でこして、でんぷんをとって、、

黒糖と生姜を合わせて蒸しあげる。

1日がかりの作業だったと思いますよ〜。


と、子どもの頃に見ていたお母さまである春おばーのなんとぅ作りの様子を教えてくれました。

店内の様子。壁にはなんとぅの由来も。



私が黒糖以外にもいろんな味のなんとぅにチャレンジするのは、母の味である黒糖なんとぅを守るためですね。ほら、今は時代の流れが早いから。時代の変化に合わせて継承することが大切。なんとぅも進化していくことで、目にとめてもらう機会が増えて、たくさんの人に知ってもらえる。

全ては母のなんとぅをつないでいきたいからこそです。


そんなお話を伺っている間、隣の加工所では喜子さんの娘さんが、なんとぅ作りに励んでいらっしゃいました。

すでにここでも母から娘へ伝統の味が引き継がれています。


恥ずかしいから、ということで喜子さんのお写真は撮らせていただけなかったですが、なんとぅのお話をされるときの笑顔が優しくてとっても素敵でした。

ぜひ、汀間の「春おばぁのなんとぅ店」で直接ゆんたく(おしゃべり)してみてください。

きくおばーの味三原なんとぅの加工所

うちは昔っから薪で焚いてて、ガスはダメですね、2時間も3時間も焚くからいくらあっても足りない。薪の方がいいんですよ〜。

とお話してくれたのは、きくおばーの味三原なんとぅの久志初美さんです。

お伺いした時、ちょうどなんとぅを作っている真っ最中で、加工所からは煙がもくもく。

レトロな釜がいくつも並べられていました。

一つの釜で100個のなんとぅ が作れるそうです!


材料はシンプルに、もち粉と黒糖のみ。

釜での作り方もそうですが、レシピもお母さまであるきくおばーの頃から全く変えていません。

釜で蒸して、冷まして、切って、一つずつフィルムで巻いて…、全て手作業。

結局これが一番シンプルで美味しいし、孫たちもこれがいいっていうからうちはこれだけ。


三原なんとぅは店舗はもたず、委託販売と注文販売のみ。

8年前にきくおばーから、なんとぅ作りを引き継いで、初美さんが加工所を立てて営業許可を取り、今の形に。

それまではきくおばーのなんとぅファンのご近所さんから頼まれて作り続けていたそう。

もともと外で働いていたんですけど、母が80手前くらいで足を痛めて、それで引き継ぐことにしたんです。

ご近所の方たちにもこれ(この味)なくしたらもったいないよ〜、やったらいいさ〜!と言われたこともあり、実際に美味しいし、これも仕事になるんならいいか、と思って。


ちょうどきくおばーもご自宅にいらっしゃってお話を伺うことができました。

昔はなんでも自分たちで作ったんだよ〜、もちも豆腐も味噌も、今みたいに買うところなんてなかったしねぇ。

昔はこの辺の家もみんななんとぅも作ってた。今はもうやめっちゃったみたいだけど。


周りのお家が、次第になんとぅ作りをやめていく中で、お正月や慶事にきくおばーのところに注文が入るようになったそうです。


きくおばぁーのなんとぅを楽しみにしてくれている常連さんがいる。

そんな経緯もあり、初美さんがそんな想いごとなんとぅ作りを引き継いでくれていることを嬉しく思っているようでした。

初美さんに今後のことを伺うと“この先は誰もやらないんじゃないかな〜”とのことではありましたが、こればっかりはわからない!


『春おばぁのなんとぅ店』も『きくおばーの味三原なんとぅ』もやり方は違えど、“母の味をつなぐ”という思いは一緒。


“なんとぅ”への愛がたくさんつまっています。

そんななんとぅはどちらもわんさか大浦パークで購入可能です!


ちなみに、名護東海岸にどのようになんとぅが伝わってきたのか?


これらはあくまでも推測でしかないのですが、

汀間も三原も昔、山原(やんばる)船※が停泊していたそう。

汀間・三原から薪などの資材を、首里から素麺や昆布などの乾物の食糧を、物々交換していたそうで、

その時に首里から作り方が伝わったのかも?

山原船が停泊していた汀間川


冒頭に記載した那覇のなんとぅに入っているピパーチは高価なものなので、代替として生姜を入れたのでは?

なんてお話も伺いました。


歴史を紐解いていくとさらに面白い発見があるかもしれません。

(これはまた別のお話ですが…。)

※山原船:

昭和初期まで使われていた琉球の荷船の一種。山原地方のたきぎなど農林産物を、首里・那覇に運送していた。(精選版日本国語大辞典より抜粋)