田んぼと綱引き。とある集落でひっそりと紡がれているストーリー
2020.07.29
名護東海岸には、地域の伝統行事と関わりの深い農作物があります。
それは、「お米」
今回は、嘉陽区の伝統行事とお米のお話です。
「お米」というと、東北や新潟のイメージが強いけれど、沖縄でも昔は稲作が盛んに行われていました。
(現在でも名護市羽地地区をはじめ、米どころが何カ所もあります。)
嘉陽区もその一つ。
集落の奥にある畑は40年ほど前まで一面水田で、田植えや稲刈りの時期になると子どもからお年寄りまでみんなで田んぼ作業を。
田植えの時期になると、学校の授業も早く切り上げられて、先生から早く手伝いに行きなさい!って。それが嫌で嫌で、、本当は友達と海でも遊んだりしたいのに。
今となっては楽しかった思い出だけどね〜。
なんてお話ししてくださる方もいらっしゃいます。
しかし、その後減反政策が始まり、サトウキビの生産への移行が増え、田んぼは少しずつ減っていきました。
また、嘉陽区には、集落の伝統行事が多く残っているのですが、その中の一つが『綱引き』です。
豊年を感謝し、旧暦の6月26日に海岸で行われます。
(今年は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から残念ながら中止が決定しています。)
この綱引きの綱を編むために必要なのが、“稲藁”です。
梅雨が明け、田んぼの水が抜き稲刈りが行われるのが7月ごろ。
この時に収穫した藁で綱を編み、豊年を感謝し、綱引きを行う、という流れ。
自然との調和、サイクルの中で、お米作りと行事が行われてきたことが見えてきます。
嘉陽区のお米と綱引きについて、嘉陽区の書記でもあり、現在自身も友人たちと田んぼ営んでいる阿野さんにお話を伺いました。
阿野さんは嘉陽の生まれではありません。
大学生時代に農村地域と県内の学生をつなぎ交流をする団体を立ちあげ、ある人の紹介でこの久志地域を訪れるようになりました。
では、何がきっかけで嘉陽に住み、お米作りを始めたのか??
始めは、単発的にわんさか大浦パークのイベントのお手伝いをしたり、畑のお手伝いをしたりしていて、
ただ長期的なつながりや成果物を作る取り組みをしたいなと思って。
昔の暮らしや伝統文化をまとめてMAP作りをしよう!と、春休みにおじぃやおばぁに聞き書き調査をしていたんです。
そんなことをしていたら、信之さん(嘉陽区前区長)に、“お前ら、こっちで田んぼやらんか〜”と声をかけられて。
学生たちと地域をつなぐ“軸”にもなるし、聞き書き調査をする中で嘉陽区の伝統行事とお米のつながりについても調べていたので、深い学びになる、と始めることにしたそうです。
嘉陽の田んぼは1980年後半から1990年の頭には全く無くなってしまいましたが、その後、『嘉陽史』の編集長でもある、翁長謙良さんらの手により、遊休地を田んぼへ!という取り組みが行われ、少しずつ復活していきます。
阿野さんたちが田んぼを始めた2013年当時、嘉陽区で田んぼをしていたのは信之さんを含め数名ほど。
綱引きは毎年行われているものの、綱は学校から運動会用のものを借りてきたり、足りない分の藁を別の地域から買ってきたりしていたそうです。
それが、阿野さんたちも関わるようになり、今までお米を作られていた人たちも面積を増やすなどし、2014年にはついに稲藁の自給100%で綱を編めるように!!
すごい!
当時は、田んぼをすると言っても、開墾の仕方もわからなければ、大学が休みの時や田植えや稲刈りの時期に来て作業をするくらいで、、
自分たちがいない間、集落の人が手入れと手間をどれだけかけてくれていたかっていうのが、今だからすごくわかるんですよね。
なんで自分たちに田んぼを貸してくれてこんなに協力してくれるんですか?と信之さんに聞いたことがあるんです。
そうしたら“お前らがお米を作りたいって言ってくれたから”ってそれだけ。
口には出されないそうですが、関わってくれる若者がいる嬉しさと田んぼ復活への想い、綱引きの綱を昔のように嘉陽の稲藁で編みたいという思いがあったのかもしれません。
学生団体解散後も阿野さんは縁あって嘉陽に住むことになり、お米作りに興味を持ってくれる別の若者たちと一緒に田んぼを続けています。
2014年以降、綱引きの綱の藁は今でも嘉陽産100%です。
田んぼへの関わりや思いも学生時代と今では変わったそうで、
綱引きの行事の時とか、(嘉陽の藁で綱を編むことで)おじぃおばぁがすごい喜んでくれて、
それぞれ集落の中にいると暗黙の了解みたいな役割があるじゃないですか?
続けることでその人のコミュニティの中での役割が生まれる。
なんか、“あーあれは阿野がやってるからな”ってそんなふうに思ってもらえたらいいなって。
でも自分一人じゃできないから、みんなにも助けてもらって、新しく関わりたいと思ってくれる人がいるなら、その人も一緒に。
自分たちも楽しみながらやって、藁が取れて、みんなが喜んでくれたら。
学びという好奇心から始まった行動が、今では暮らしの一部、当たり前の日常になっていっているのを感じました。
行事と作物のつながりも深いですが、
それらを通して人と人とのつながりも生まれ、新しい人を巻き込みながら続いていっている嘉陽の田んぼと綱引き。
きっとこれからも新しいストーリーが生まれていくんだろうなぁと思うととても楽しみです。