寿司職人歴40年を経て。みんなに慕われる75歳現役の今

2022.02.24

わんさか大浦パークの店頭に並ぶ、数々のお惣菜やスイーツ。
地元の人たちに愛され続けるわんさかの商品は、どれもすべて、わんさか大浦パークの調理室メンバーが手づくりしています。
2月の節分の日に大好評だった「二見あかカラシナ恵方巻」。恵方巻を一本一本丁寧にまいたのは、寿司職人歴40年、東京出身の豊田 二三男さんです。
いつも黙々と調理をしている豊田さん。普段聞くことができないお話を、聞いてみました。

恵方巻の1番のこだわりはシャリだそう。 沖縄に恵方巻文化が親しまれるようになったのはここ数年のこと。どうしたら地元の人たちにも美味しく食べてもらえるのか。すし酢や調味料の配合はもちろん、加熱温度、加熱時間にまでこだわった恵方巻きは毎年人気が高まってきています。

6年前に沖縄に移住されたと聞きましたが、それまで何をされていたんですか?

東京で寿司職人をしていたよ。

築地の江戸銀っていう店で10年間修業をして、そのあと30年間先輩の店で寿司を握っていたんだ。

妻がもともと、名護市東海岸地域の二見の出身でね。妻が定年退職をしたら、沖縄で暮らすという約束だったんだ。

そうなんですね!約束していたとはいえ、抵抗はなかったんですか?

抵抗はまったくなかったなあ。

僕には弟がいるんだけど、話し合って弟が自分の親のお世話を引き受けてくれたんだ。お世話と言っても、当時親は既に介護施設に入っていたんだけどね。

そして僕たち夫婦は、妻の父の介護のために沖縄に来たんだ。

実際に沖縄に来てみてどうでしたか?困難に思われたことはありますか?

最初はよそ者扱いされるんじゃないかとかって心配してたんだけど、全然大丈夫だった。

妻の出身地だから顔見知りも多くて。

何よりみんな親切な人たちばかりだからね。

コロナ前はよく、家に近所の人やわんさかのスタッフ呼んで、

ご馳走を振舞ったりもしたよ。楽しかったなあ。

普段は穏やかでとても優しい豊田さん。
でも一本一本真剣に恵方巻きを巻く時の姿は、
さすがは寿司職人。


わんさか大浦パークのスタッフ同士仲がいいんですね。
ところで、どうしてわんさかで働こうと思ったんですか?

そもそも沖縄で働くつもりはなかったんだよ。妻と二人、のんびり年金で暮らしていくつもりだったんだ。沖縄に来て一年間は働かず介護だけしていたし。

だけど、当時の二見の区長さんが料理人が足りないから働いてくれないかってお願いするもんだから。僕は寿司しかやったことないからできないって何度も断ったけど…どうしてもってことだったから。

でも実際に働いてみたら、心配はいらなかった。ずっと料理の仕事をしてきた分、すぐにレシピを覚えられた。

調理室の若い子たちも、僕がやりやすいように考えてくれているから、楽しく働かせてもらっているよ。

今年で御歳75歳とお聞きしましたが、ズバリ、今後の夢や目標は?

仕事を引退したら、沖縄全土を回りたいなあ。まだどこにも行けてないから。

奥様は?

え?うちの妻は、、アメリカに行きたいだなんて言ってるよ。参ったもんだ。

そう笑顔で語る豊田さん。
そんな豊田さんについて、身近な人に話を聞いてみました。

わんさか大浦パークオリジナル。手作りのアメリカンクッキー。

豊田さんはすごい几帳面なんですよ。だから仕事もすごく丁寧。本人は自覚がないようだけど研究熱心なんです。このアメリカンクッキーも、きれいな円の形に焼くのは実は難しいことなんです。既存のレシピを大切にしながらも、どうやったらきれいな形になるか考えてくれています。

(わんさか調理室 宮城ひかるさん、有銘亜依さん)

とても優しい方です。豊田さんはわんさかメンバーの中で一番年上で、他の調理室メンバーとは40歳くらい離れています。豊田さんは素晴らしい料理人だけど、決して若い子たちに自分の意見を押し付けたりしないし、むしろ若い子たちの考えは勉強になるとおっしゃっていました。

私たち一家もコロナ前には豊田さんのご自宅でご馳走になった事があります。うちの子のお寿司デビューは、豊田さんが握ってくれたお寿司なんですよ。

(NPO法人久志地域観光交流協会 坪松美紗さん)

わんさか大浦パークを陰で支える調理室のメンバーは、仕事熱心であり心の優しい人たち。私たちスタッフ一同が誇る、わんさかのお惣菜やスイーツは、そんな調理室メンバーの真心が詰まっています。