シークヮーサーの木、1本1本の性質が分かるよ。

2019.02.22


シークヮーサーは、やんばる(沖縄本島北部)などに原生し、昔から沖縄のひとびとに親しまれてきた小さな柑橘類です。沖縄の言葉で「シー(酸っぱい)」、「クヮーサー(食べさせる)」の意。和名を「ヒラミレモン」といい、熟する前の青切り果汁はスダチやレモンのような使い方ができますが、皮を含めて、独特の酸味やきれいなほろ苦さをもっているのが特長です。また完熟するとミカンのごとくまったく異なる味になるのがおもしろいところ。
おじぃやおばぁたちに話を聞くと、畑仕事をするとき、漁に出るとき、シークヮーサーを持っていって喉を潤したといいます。


名護東海岸にも、シークヮーサーを育てている人がいます。
三原の上里幸廣さんの畑を訪ねました。


柑橘類を育てるときには、別の木の台木に枝を接ぎ足す「接ぎ木」をします。
日本ではカラタチを台木にすることが多いようですが、上里さんはタンカン(ポンカンとネーブルオレンジの自然交配種。沖縄でよく栽培されている糖度の高い柑橘類)を栽培するための台木としてシークヮーサーを山から探してきて植えたのだそう。

シークヮーサーを植えて、2、3年したら、ちょん切って、タンカンを接ぐの。今の柑橘組合はやらんけど、沖縄ではシークヮーサーを植えてそれに接いだほうが長い目で見たら得だ。寿命が長いよ。ヤマト(本州)の台木に接ぐとせいぜい15年くらいで元気がなくなる。


76歳の上里さんは「もう俺も歳だし、これ以上タンカンを増やしてもしょうがないから、接がないでそのままおいてあった」シークヮーサーを「わんさか大浦パーク」に出荷しています。


「シークヮーサーに多く含まれるフラボノイドの一種ノビレチンには、がんの抑制効果も期待される」という報道を機に、まったく無名だったこの小さな果物はブームになり、それに翻弄されてきました。

今、1kgを約140円で卸しているというシークヮーサーですが、一時は700~800円という高値が付いたこともあるといいます。栽培農家が増えすぎた後には、80~90円まで下落。
値段と手間が引きあわず収穫されないシークヮーサーが増えたり、近年ノビレチンの効果が報道されまた見直されてきても、高齢化で収穫しきれない状況が出てきています。

「年金暮らしではあるけれど、10円でも高いところに出そうとか思わない。肥料代だけあればいい」と言いながら、木の根元まで陽が入るように剪定するなど、上里さんの手入れはどの部分でも細かいところまで気が配られています。

シークヮーサーを育てていておもしろいところは?とたずねたら、
「毎日同じ作業をしていると、木1本1本の性質が分かるよ」という答えが返ってきました。


地域愛が強い土地には何があるのだろう。


次に訪ねたのは、同じく名護・三原の當眞愛子さんの畑です。
こちらでははじめシークヮーサーはタンカン畑のまわりの防風林として植えられました。

94歳で亡くなったじいちゃんが管理してたんだけど、高齢でできないから、あんたたち採りなさいって、押し売りされたの(笑)。私は長い間、障害者施設で働いてたわけよ。じいちゃんがガンで面倒を見ないといけなくなって、仕事を辞めて。うちの人が基盤づくり。バスの運転手だったもんだから、バスの運転手って半日くらいの仕事なんですよ。朝早く5時くらいに出ると、午前中に仕事終わるとか、夕方からだと翌日午前中で終わるとか。その合間を利用して、シークヮーサー植えたり、タンカン植えたりしてたけど、わたしは好きじゃないけど(笑)やらざるを得ない。やったらやるほど欲が出て、あれもこれもしたいってなってきて……。


と、朗らかに話す愛子さん。自給自足できるほどの少量多品目の野菜も「わんさか大浦パーク」に出荷しています。

なるべく農薬は使いたくないから。シークヮーサーは消毒も少なくしてるから、ごつごつしてますよね。タンカンも10月まで消毒するけど、11月から1月はいっさいしない。タンカンの皮で「ちっぱん」つくってるんですよ。食べていって!


「ちっぱん」とは柑橘類を砂糖で煮詰めた琉球王朝時代以来の伝統菓子で、「きっぱん」と呼ばれることのほうが多いものです。
愛子さんは三原のおばぁから教えてもらってゴーヤーのちっぱんもつくっていました。甘さの後に追いかけるようにしてやってくる苦みは、ゴーヤーが苦手な人もなぜかどんどん手が伸びるおもしろ味。
沖縄の人でもきっぱんを知らない人が増えてきているなかで、柑橘類以外のきっぱんに名護東海岸で出合えるとは。
三原はナントゥという伝統菓子も大事に受け継がれている地域。
地域愛が強い土地には何があるのだろうともっと知りたくなりました。

< オンラインショップ >
↓「シークヮーサー」を使った商品はこちら↓