つながり、循環を生み出す「わんさか大浦パーク」10年の挑戦 前編

2022.02.01

はじまり

若者が徐々に減少し過疎化が進む二見以北10区を何とかしようと、二見以北10区が手を取り合うことになったのは平成16年。地域を振興する施設を作るために10区の区長で構成される二見以北地域振興会を立ち上げました。

最初に取り組んだのは10区で連携した地域振興「わいわいまつり」汀間漁港で手づくりのお惣菜の販売やグルクンつかみ取りなどお年寄りから若者までみんなで協力してお祭りを作り上げました。

名護市からも交流拠点施設の計画が認められオープンに向けて10区で運営に必要な資金の確保に動きました。しかし、10区の区民の皆さんの中にはさまざまな意見があり、合意を得るのに区長の皆さんはかなり苦労したそうです。区民を説得して3年間かけて各区90万円を積み立て、わんさか大浦パークをオープンするための資金900万円を何とか確保しました。

その後もオープンまでに紆余曲折あったそうですが、農家さんや区長さん役所の方々、職員などが協力し、グランドオープンまでの間、農産物直売市を開催し機運を高めていきました。

地域総出でのオープン準備

わんさか大浦パークの規模のお店を開業するには900万円はギリギリの予算。必要な備品は閉校になった学校や役所等々から寄付いただいたり、テーブルや販売台なども関係者が力を合わせて手作りで制作しました。今でも補修しながら大切に使っています。

隣接する大浦川には大規模なマングローブ林があるのでそこを活用できるようにということで地元の方から40名程まで対応できるカヤック機材一式の寄贈もありました。最初は少なかったカヤック体験のお客様も徐々に増えて10年間で数千名のお客様がカヤック体験をし大きな地域の収入源になっています。

植栽も寄贈いただいたヤエヤマヤシとサガリバナを地域の方々協力して植えたり、看板も寄贈で地元業者さんに協力しておらい設置するという他の施設にはなかなかない地域総出でのオープン準備。

やっとのことでグランドオープンできたのは2011年3月5日。オープン式典が盛大に行われ、オープンまでに協力いただいた皆さんに感謝状が手渡されました。

わんさか大浦パークという愛称は地元の中学生が発案。「大浦湾」と賑やかという意味の「わんさか」を掛け合わせてネーミングされたそうです。

オープン当時から11年近くわんさか大浦パークで働きを支えている仲村晋さんは当時を振り返りこう語ります。

あの時は大変でした。最初は職員3名で社用車もなかったので手作りのポスターを自家用車に貼り付け、スピーカーを取り付けて地域内にお店がオープンするお知らせを放送しながら地域の端から端まで回ったり、ちゃんとしたPOSレジもなかったので毎日夜遅くまで残って出荷者さんごとに売上を集計したり、とにかく駆け回ってた。体重も13kg以上減ったよ。農産物直売市から関わっている出荷者の皆さんはオープン後、年を重ねて高齢になっても出荷を頑張って続けてくれて、わんさか大浦パークを支えてた。中には100歳近くになっても出荷してくれた人も。思い入れが強い人も多かったので調整も大変だったけどね(笑)

いつも地域の方々が「わんさかどうなっている?」とわんさか大浦パークのことを気にしているのは、設立当初から多くの人が携わり、この地域を何とかしたいという想いで、みんなで協力して立ち上げたからかもしれません。

現在働く職員や区長さんは世代交代して当時を知る人は徐々に少なくなりつつありますが、地域の方々の結束と外からは見えない並々ならぬ努力があったからこそ今があることを忘れてはいけないなと思います。